お問合わせ

JR職員から放送作家・脚本家へ

ここで自己紹介をひとつ。

高校を卒業し10年間JR(旧国鉄)に勤め(気動車運転士などに従事)、
民間になる前に退社しました。
その後作詞家修業などを経て、ラジオ番組の構成をきっかけに放送業界へ。
30歳という遅いデビューでしたが、多くの人のおかげでテレビなども手がけるようになり
放送作家として歩み始めました。

映画の脚本を書くようになったのは瀬木直貴監督との出会いからです。
いろいろな縁が重なって、僕はいつの間にか映画のプロデュースや脚本を手がけるようになりました。
そして現在に至っています。

思えば僕は最初からフリーランスで、放送作家が脚本家が、
そしてコピーライターがどういうものかも全く分からず、
手探りで実践を積み重ねていくなかで、なんとかやってきたというのが正直なところです。
やってこれた理由、それはただひとつ。
素敵な人達との出会いと縁のおかげです。
周りに才能のある人がいっぱい。
金持ちではないけど「人持ち」。
これが僕の唯一の自慢です。

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